赤帽ピジョンは札幌市西区の赤帽ですが、

札幌市西区といえば屯田兵が入植し開拓した歴史ある地区が多くあります。

私の住む札幌市西区発寒は、1857年に屯田兵が移住して農作物を栽培しながら発寒の開拓に当たりました。

今でも農家や畜産などを営む家もありますが、牧草地などはさすがに減ってきました。

その後、1876年に琴似屯田兵村の分村として発寒にも32戸の屯田兵村ができたことにより、人口の増加が進みました。

発寒の隣町の八軒の地名は従来は「新札幌市史」によると、

1871年、開拓使が8戸が八軒に移ったことに由来するとされております。

二十四軒の地名も八軒と同じく、24戸の戸数に由来します。

当時の二十四軒には「シカの道」といわれる踏み分け道があり、これを人々も利用していました。

後に道路となった所もあるといわれています。

この辺りは、琴似屯田兵村付近と違い、札幌に比較的近い位置にあったものの、

当時は一面原始林に覆われた未開地だったそうです。

北5条通りを挟んで24軒の隣の宮の森は、琴似12軒と呼ばれ農民12戸が開墾を始め、昭和18年5月琴似村が町制を施行した際に[宮の森]と改称しました。由来は昭和3年 に秩父宮、翌年に高松宮が来道されて、昭和5年から「宮様スキー大会」が開催される事をきっかけに、昭和18年に十二軒から琴似町宮の森と改称 されたそうです。

西区の中心でもある琴似の地名は、アイヌ語の「コッネイ」(くぼんだ所)が語源です。こちらも開拓使が命名しました。

琴似は、1874年に制定された「屯田兵例則」により、1875年から士族などが屯田兵として移住し、本格的な開拓が始まった歴史的な地域です。

屯田兵制度は、当時蝦夷と呼ばれた北海道の開拓と北方警備のために考えられたものです。

琴似地区が屯田兵村の最初の候補地に選ばれた大きな理由としては、札幌本府に近く、交通、通信の要衝地であったこと、また、生活に便利であったことなどが挙げられます。

琴似屯田兵村を中心とする一帯は明治39年(1906年)に琴似村、昭和17年(1942年)の町制施行により琴似町となり、昭和30年(1955年)に札幌市に合併されました。昭和47年(1972年)の区政施行に伴い、西区役所が設置され、昭和51年(1976年)に地下鉄が開業して地下鉄琴似駅ができ、都市化が進んでいきました。

こんな感じで160年以上の歴史ある札幌市西区なのです。

 

そんな私の祖先も屯田兵です。

歴史ある屯田兵の地で地域に貢献出来れば幸いです。

 

 

 

 

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赤井尚一
札幌市西区で引越し運送業『赤帽ピジョン』を営んでます 。 引っ越しで役立つ情報はもちろんのこと、各地を巡って見つけたグルメ情報や、趣味のフライフィッシングなど北海道の情報も発信していきます!